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日曜日, 2月 15, 2015

おもしろきこともなき世におもしろく #10




ものすごくだらだらとやってきた(むしろやっていなかった)
このブログも10回目ということもあり、
周りが振り返ってるので便乗して、
私もPSO2人生を振り返ってみようと思った。





そして、私は思考を巡らせる。


私が始めたのいつだっけ‥



むしろ皆が始めた時期を覚えていることがすごいのだ。
私は悪くない。決してない。
ないったら、ない。


大学に入ってから、同じ学科の友達に誘われたPSO2。
最初は、同じ鯖に入れず、6鯖に。
課金なんて考えてもいなかった。

友達に誘われたのに、ぼっちでクエストにこもる日々。

なぜ、飽きなかったのか、未だに謎である。


1鯖に入れるということで、垢を消して入り直すという
無課金優良ユーザーの鑑みたいな行動をとって、
そこで作った初めてのキャラがアリアだった。



自分の好みと好みを掛け合わせて、出来ました
といえるアリアへの愛情は、今でも変わらない。
結婚して下さい。


オンラインゲームなんてしたこともなかった。
RPGはポケモンくらいしかしていなかった。
任天堂のゲームくらいにしか手をつけていなかった。


初めて思ったことは、楽しい。



気づいたらプレミアムユーザーになっていた。

気づいたら表も裏もカンストしていた。

気づいたらサブキャラも増えていた。

いくつか単位を犠牲にもした。←


学科の友達に本気で心配されたこともあった。

秋には毎年飽きて他のゲームに浮気していた。


それでも、結局はこのゲームを起動して、
フレンドとクエストに行って。
悪いコト考えたり、考えなかったり。

マイルームにコスチュームに大金はたいて装備強化しなさいと怒られることもあった。
↑今も大して変わっていないけれど



OP付けも3s、4sで満足していたのに、
気づけば、5s以上ばかりに。。


アマテラスやツクヨミが出た時は、死に物狂いで拾いにもいった。
ハフリマイヒメが出た時には、10数Mものメセタを一瞬で溶かした。



1年以上も後に始めた友達にサイコを先出しされたときには
本気でやめようかとも思った。


それでも、続けてこれたのは、
誰かがいるってことで。


いろんな人にお世話になった。

1鯖メインな私は、
5鯖、7鯖のチームに迷惑をかけてばかりだけれど、
顔を出せば、いつもどおり声をかけてくれる。


私は、良いチームに恵まれた。
私は、良いフレンドにも恵まれた。

それに比例するかのように

黒いお友達もいっぱい増えた。←



FoTeが弱体化されてチームの状況もあり、
BrやGuに浮気していたこともあったけれど、

やっぱりしっくりくるのは、
Fo/BrでもTe/HuでもTe/Raでもなくて、

Fo/Teが一番なのはずっと変わらない。


射撃も打撃も楽しいけれど、
LOLでもMageやSupportだし、
TERAでもプリースト、エレマス、ソーサラーだし、
魔法使いが一番楽しい。



身内で作ったチームと身内で作ったチームとお友達のチームを掛け合わせた
元妖猫の星霜図書館
現Ciel l'histoire


チームマスターなんて肩書きを背負っているけれど、
何にもしていません。



ゲームなんだから、楽しくやりたい。
企画し始めると、上手くいかないと気が済まないから、
全員の動きを縛ってしまう。

まず、誰かを動かすことに対する能力が皆無に近い。
それなら自分が動いたほうが早いし効率良いと思考する
トップの才能ない典型な私は、

どちらかといえば、一歩引いてフォローに回るほうが得意。


基本的な運営は、マネージャーに任せる。
でも、マネージャーも楽しんでほしいから、出来るだけのことをしよう。


それがチームができてから、今の形、雰囲気に落ち着くまでに考えていたこと。



クソゲーだークソゲーだーなんて愚痴をぼやきながら、
続けてきたPSO2。


最近は、皆が疲れていることのほうが多い。

アーレスというレアを掘っているから?

運営の舵取りが不安定だから?

作業に近いから?

きっとどれも違う。


初心忘れるべからず。

観阿弥世阿弥で記憶している人が多いと思う、
世阿弥が能楽の修行について言った言葉。

学び始めた頃の謙虚な気持ちを忘れてはならないという戒め。



始めた頃は、エリアに降り立ってエネミーと対峙することにすら、
ワクワクやドキドキがあった。

初めて欲しかった装備を手に入れた時は、
嬉しさでいっぱいになった。

神(ドゥドゥ)に祈りを捧げたOPが通った時は、
叫ぶ程、喜んだ。



私の座右の銘のひとつであるこの言葉に思いを巡らせる。


おもしろき こともなき世に おもしろく


高杉晋作の辞世の句として知られるこの一句は、


面白いこともない世の中を面白く生きるにはどうすればよいのだろうか?

という意味。
そんな言葉に、療養に付き添っていた歌人野村望東尼は

すみなすものは 心なりけり

と続けている。

これは、全てのことは心の持ちようで変わってくるといった意味。


余談だが、一般的には、こともなき世を、の方が知られていると思う。
しかしこれでは、野村望東尼の続けた詩に違和感を感じてしまう。
なので私は、前者の方をいつも引用している


閑話を挟んでしまったけれど、
つまるところ、
つまらないなんて思ってしまうのは、
やってて疲れると思ってしまうのは、
何かのせいではなくて、
自分の心のあり方に問題があるんじゃないだろうか?


これはゲームじゃん、なんて夢のない一言は場違い。
つまらないなんて、思う前に
どうしたら面白くなるか、
そうやって前向きになるべき。


他人がどうこうなんていう時間はもったいない。
今を楽しむこと。
皆が楽しめるようなこと。
そんなことを考える方が有益だから。



                                       ありあ




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